功名が辻
発表年: | 1963〜1965年(司馬さんの年齢:40歳〜42歳) |
発表媒体: | 地方紙 |
本の出版社: | 文藝春秋 |
主人公: | 千代 |
山内一豊と妻千代を描いた作品
主人公は、山内一豊の妻千代です。司馬さんの小説で主人公が、女性というのは珍しいです。
山内一豊は、織田家の下級武士でした。そこから最後は、土佐(現在の高知県)の太守にまで上り詰めます。
物語では、山内一豊は、豊臣秀吉のような才能はなく、織田家の平凡な武士として、最初は始まります。
そこから、妻千代との二人三脚で、織田、豊臣、徳川の時代の変遷を過ぎて、最後は、土佐の太守になるところまで書かれています。
山内一豊と千代と言えば、馬の話が有名です。これは、織田家の馬ぞろえの時に当時貧乏だった山内一豊が大変りっぱな馬にのって、周囲を驚かしました。
信長の耳にも入り、一躍名士になりました。これは、千代が日頃からためていた黄金を、馬に使ったことでできたことであり、千代は、信長の耳に入ることを計算していたことだといわれています。
大きな武功もない武将が、どうして土佐の太守になっていったか、このあたりに理由がありそうです。
土佐は、山内家が入る前は、長曾我部家が治めていました。山内家が土佐に入ったときに大きな混乱がおきるのですが、
最終的に、長曾我部家の侍たちの上に山内家の侍たちが君臨することになり、それがそのまま上士、郷士となり幕末にいたります。そのような複雑な事情が、土佐の悲劇につながることになります。幕末の話は、「竜馬がゆく」などに詳しく書かれています。
山内一豊が初代の土佐藩主ですが、2代目藩主が山内忠義です。この忠義が南海の王らしく、かなり豪儀な王だったらしく、この忠義から初めて、土佐の藩主ということで落ちついてきたようです。
とりとめもなく土佐のことを書いてしまいましたが、最後に三菱のことを書きたいと思います。
土佐の山内家の紋は、三つ葉柏といって、今の三菱マークの元になったものです。
これは、三菱を起こした岩崎弥太郎が、土佐の下級武士で、三菱を起こせたきっかけが土佐藩にあるからです。
三菱のマークと山内家の三つ葉柏をご興味のある方は見比べてみてください。